宝石ルビーの別名とは?【名前や語源についても解説】

ルビーは赤い宝石です。

世界中で特別な宝石として愛されていたルビーは歴史的記録や古い時代のルビーなどから、ルビーとそれ以外の赤い宝石を鉱物学的に見分ける手段がまだ確立されていない時代には、それ以外の赤い宝石もルビーと呼ばれることがよくありました。

ルビーには様々なルビーの呼び名と、ルビーと共に語られる言い伝えが残されています。

ここではルビーの別名を解説します。

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ルビーの名前の由来と別名

赤い色

ルビーの名前の由来は、「赤い石」です。

古代ローマの人達は、ルビーは赤く輝く宝石で、石の中で燃えて消すことができない炎を持っているといわれ、別名「(燃える石炭)カルブンクルス」と呼ばれていました。

ルビーの語源はその後、旧ラテン語で「赤」を意味する「ルベウス(rubeus)」となりました。

ルビーはカルブンクルスとして聖書にも登場します

ルビーは旧ラテン語、カルブンクルスとして聖書に登場します。

14世紀の宗教改革者ジョン・ウィクリフと弟子たちが聖書を英訳した際、ラテン語の原典から千語を越える単語を借用したといわれています。

13種類の宗教的なシンボルが刻まれたマルティン・ルターのルビーの結婚指輪に使われているルビーは、365nmの紫外線に反応する接触変成岩起源(ミャンマー産)の特徴があります。

聖書の博士として名を馳せたマルティン・ルターは、旧約聖書に登場する「嵐の中でノアの方舟の中で輝いたカルブンクルス(カーバンクル)」が、拡散光で届いた紫外線に反応するのが、接触変成岩起源のルビーだということを知っていたのかも知れません。

  • 旧約聖書の中にも登場する「ノアの方舟の中で輝いたカルブンクルス(カーバンクル)」
  • 聖書で登場する「人の知恵はルビーにも勝る」

マルティン・ルターの結婚指輪はルビー

ルターのルビーリング

ドイツ・ライプツィヒ市博物館に展示されているマルティン・ルターがカテリーナ・ヴォン・ボラに贈った結婚指輪 写真引用:ルターリングの伝説 著者Ursula Rohrs

プロテスタントの礎を築いたのが、1500年代に宗教改革を率いたマルティン・ルターがお嫁さんのカテリーナ・ヴォン・ボラに結婚指輪として贈ったのが、ルビーの指輪です。

その実物が今でもドイツのライプツィヒ市の博物館に実物が「マルティン・ルターの結婚のシンボル」として大々的に飾られています。

実物を観る限り天然無処理で美しいミャンマー産ルビーであることは間違いありません。

ルビーは赤い色の宝石

ルビーが人類の歴史に登場するのは、とても古く、旧石器時代です。

ニューヨーク市立大学のTED THEMELIS博士の著書「Mogok」では、200万年前の原人がルビーの原石を集めていた形跡を確認したと記述があります。

集めた理由は分かっていないそうですが、その時代は、まだ現人類になる前ですが、旧石器時代といわれ打製石器を使い、火を使ったといわれます。

夜になると夜行性の大型肉食動物に捕食されていた時代です。

夜行性の動物は、火種を嫌がります。

夜に火種を使いこなせた原人は、漆黒の暗闇の中で赤く輝く、炭火の光に守られて、その人口が一気に増えていったのは夜に食べられることが少なくなったからです。

暗闇にトラたちの光る目に囲まれていた恐怖からルビー色は人類を守ったということで、「怖いものから守られる」と認識するようになったのかも知れません。

数百万年という長い時間、人類はルビーの赤い色に守られてきました。

ルビーの和名

ルビーの和名は「紅玉」です。

名前の通り美しい赤い宝石であることからこの名前が付けられました。

数々の色の中でも、紅色は歴史や色の豊富さなど、日本人にとってとりわけ関わりの深かった色とも言えます。

四季のうつろい、地理的、歴史的、文化的背景などさまざまな影響を受け、日本の伝統色とされている「紅色」は赤の中でも特別な色です。

古来、日本人は、色彩や色の表現について特別な感情や独自の感性を持っていました。

【紅】の語源

紅花

古代の日本で「いろ」といえば、赤色でした。

「紅」は赤い色の鮮やかさを強調する時に使うものと言われ、「紅葉」など赤の鮮やかさを強調したい時に使われることが多い言葉です。

くれないの語源は、「紅花(べにばな)」の異名「くれのあい」の変化とされています。

紫色の色調が加わることで、赤い色の鮮やかさが際立つ「紅」という美しい色は特別な色でした。

日本人も憧れた「紅色」

日本国旗である日章旗、いわゆる日の丸の赤い色に決まりがあることはご存知でしょうか?

実は、日の丸の色は「赤」ではなく「紅色」と定められているのです。

「赤色」にしてしまうと、その意味する範囲が広くなってしまうため、鮮やかな赤を指す“紅色”になったようです。

そんな「紅色」は、古来衣服などあらゆるものに使われてきた日本人にとって非常に馴染みのある色であり、かつ羨望の色でもありました。

紅色は染織に手間がかかるため希少な色であり、特に濃い紅色は一部の貴人のみしか着用を許されない禁色(きんじき)でしたが、貴族たちの間で衣服や化粧品用として大人気になり“流行”の意味を持つ“今様”という言葉を冠した「今様色」と呼ばれるようになりました。

あまりの人気ぶりに、延喜18(918)年には紅花の使用を禁止したほどです。

地位や身分を示す色を「位色いしき」といい、それぞれの位階いかいに相当する色を「当色とうじき」と言いました。

当色とうじき」より上位の色の使用は禁じられ(禁色きんじき)、色彩が明確に位階いかいと結びついたことによって、色に対する社会的な価値観も生まれたのです。

そんな紅色の流行は、平安時代は貴族の間にとどまっていましたが、江戸時代になると庶民にも拡大します。

当時、紅は「紅一匁(もんめ)、金一匁」といわれるほどの高級品で、庶民にはなかなか手が届かないものでした。

ルビーと共に残された言い伝え

世界中にルビーと共に残される言い伝えがあります。

歴史の中でルビーが大切なものとして扱われてきたことで、ルビーをもつことで何らかの効果があると信じた人たちもいたようです。

ここでは、ルビーの効果を信じていた偉人について紹介します。

ナポレオンが最後まで大切に身に着けていた赤い石

ナポレオン
フランスの皇帝、ナポレオンは一生涯、肌身離さず大切にしたのも「オデム」と呼ばれた赤い宝石でした。

ヘブライ語でアードムと発音され、このドムというのが、ヘブライ語で「血」を意味し、アダムの語源です。

1815年、皇帝の地位を失ってセントヘレナ島に流された時も、この石を最後まで大切に身に着けていたと言われています。

ルビーはヨーロッパでも権力の象徴とされ、災いを退ける効果のあるお守りとして身に着けられていました。

ルビーが採掘されない欧州では、まだ赤い宝石ルビー、スピネル、ガーネット、カーネリアンなどを見分けることはできず、赤い石の総称がルビーでした。
このアドムの素材は、カーネリアン(紅玉随)Si シリカの鉱物です。

ルビー効果を得るために体に埋め込んだ戦士たち

ルビーの歴史は古く、古代ローマ博物者のプリニウスは著者の中でルビーについて触れ、止血剤としての効果があり、粉末薬に加工されていたと記されています。
古代ビルマの戦士はルビー皮膚の下に埋め込むと戦に負けないと信じられ、不死身になれるお守り効果があると信じられていました。

このように、歴史の中の偉人にもルビーが大切され、先人たちの身を守った記憶が語り継がれてルビーには身を守る効果があると言い伝えられてきたようです。

まとめ

この記事では、ルビーには様々なルビーの呼び名を解説してきました。

「別名」は自然や文化など、さまざまなものが今日まで引き継がれて、蓄積した存在であると気づかされます。

古くから、貴重で高価な特別な宝石だったルビーは、持ち主の生きてきた証となり、受け継がれていきます。

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